名もなきライターのブログ

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イケダハヤトは現代のソクラテス・パート2【プラトンとキメラゴン編】

 

「人間は木の葉のように儚く散り、死んでゆく(ホメロス)」 

 

2016年に我々は、誰もがブログで語らずにはいられないイケダハヤトという存在について、2400年前の古代ギリシア・アテナイの哲学者ソクラテスとの類似をすでに見た。「イケダハヤトは現代のソクラテス」ブログは、イケダハヤトファンとアンチとウォッチャーをとまどわせる怪文書としてインターネットを駆け巡った。

 

 

さて、4年も放置してしまった。2020年である。令和の怪物を自称するキメラゴンという少年がSNSを騒がせている。個人的に待ちに待ったイケダハヤト氏の跡目を継ぐものである。彼はプラトンなのだろうか? そんな仮説を持って、各種テキストに当たってみた。

 

少しネタバレをすると、幼き日のプラトンは悲劇作家として身を立てようとしていた。しかしソクラテスとの出会いによってその夢を打ち砕かれ、伝承によると書いていた悲劇の草稿を焼き捨てたという。そのエピソードの真偽はさておき、少年キメラゴンもまた、イケダハヤト氏との出会いによって、ブログをかなぐり捨て、大きく運命を狂わされていく。

 

 

出会いと別れ

 

今回は、ソクラテスとプラトンの出会い、そして死についてクローズアップしてみようと思う。実は古代ギリシア研究はこの出会いと別れが肝心だからである。その間のソフィストとの対話はあまり歴史上に適切な文献が残されていない。なぜなら、ギリシアが滅んだ後、異教徒がアレキサンドリアの図書館を焼き払ったからである。

 

ムーサに。

 

また、イケダハヤトが現代のソクラテス、キメラゴンが現代のプラトンなら、詩の女神ムーサはお友達のマダムユキさんとなる。ソクラテス記事が私と彼女の友情をつなげてくれ、彼女の御神託で私はこの記事を書くからである。本稿はギリシア人たちの風習にならって、詩の女神ムーサに捧げる。

 

書くことが好きだった

 

「書くことが好き。将来は偉大な悲劇を書き、ポリス(都市)にその名を轟かせたい」

 

これが、少年プラトンが最初に見た夢であった。

プラトンは紀元前427年にアテナイに生まれた。彼の生家は、当代きっての名門貴族である。母ペリオクティネは、奇跡の都市を作り上げた立法者ソロンの血を引くものとして知られ、クリティアスとカルデミスというふたりの著名な立法者もまた、彼の大叔父に該当する。

 

悲劇作家として身を立てようとするのは、アテナイ人にとってある種当たり前の野心であった。後世の我々が小説を取り扱うのとは違い、彼らにとって演劇は政治参加と同様だったからである。これは今のインターネットの社会と酷似している。みなが政治的な人間。言葉によって語り合い、相互に正義を主張し合うのである。

 

プラトンは貴族の一家に生まれたものとして、アテナイで政治参加によって偉大な市民になりたいう野望を抱いていた。キメラゴンもまた豊かな家庭に生まれ、書くことで身を立てようと、ブログ執筆をスタートさせた。彼は学校生活に挫折し、文章によって生き延びようとしたのである。しかし、時代は彼に味方しなかった。Googleの神々は個人ブログを吹き飛ばし、初月の稼ぎはわずかだったという。

 

ソクラテスとプラトンの出会い

 

同じ都市に暮らすものとして、ソクラテスとプラトンは、プラトンが幼い頃から一方的にソクラテスを知っていたようだった。しかし、繰り返しになるが彼らは師弟関係ではない。そもそも古代には徒弟制度というものが存在せず、プラトンはソクラテスを朋友(ピロス)とか相棒(ヘタイロス)と呼ぶ。そこに現代風の師弟愛は存在しない。

 

そしてプラトンが青年になった紀元前399年。古代ギリシア中を震撼させる驚くべきスキャンダルが起きる。それがソクラテス裁判と、その後に起きた毒杯によるソクラテスの死であった。

 

キメラゴンもまた、同じ都市インターネットの先住者イケダハヤトとの出会いによって、大きく運命が狂っていく。まわりの大人たちが彼を構い、メディアが持ち上げて、あっというまに先人を超え、後世の歴史家がプラトンをうやうやしく取り扱うのと同様、虚像だけが大きくなっていくのである。

 

ソクラテスの死

 

なぜソクラテスが死刑になったかは前回の記事ですでに確認した。彼は弁証法の使い手として、絡む相手をめちゃめちゃに激怒させ、相手から長文を引き出すからである。これはイケダハヤト氏もソクラテスも同じである。イケダハヤト氏は関わった相手をとにかく激怒させ、先方は彼のその不遜(ヒュブリス)と尊大(アテー)に導かれて長文をインターネットに刻みつける。

 

そして、重大な問題はこの後であった。ソクラテスは哲学という名の屁理屈に熱中し、若者たちを誘惑し始める。デルポイの神託事件だけではなく、私塾を開き、若者を堕落させ、結果として市民の怒りを買って死刑となる。ソクラテスを告発した3人の市民に、メレトスという詩人がいるのは象徴的な話である。

 

ソクラテスが何を哲学していたかは、プラトンの後期の著作に詳しい。知への愛(ピリア)、すなわち知のための知。これがその後、壮年プラトンとともに西欧に渡り、ヘーゲルなどの歴史の長い解釈を経て、銭のための銭、つまり資本主義に変節するのである。

 

虚構の人

 

キメラゴンが美しい少年であるのと同様、プラトンは大変な美文家だったとされる。

その美文によってごまかされてはいるが、「パイドン」をはじめとするさまざまな著作が、彼の社会への復讐を色濃く物語っている。しかし、「ソクラテスの弁明」と「クリトン」だけは、歴史家としての、ソクラテスの同時代人としての報告者プラトンを浮き彫りにする。

 

率直にいって、イケダハヤトに導かれたキメラゴンが書いているのは「稼ぐ方法で稼ぐ」といった空虚なものである。知のための知、銭のための銭、そして稼ぐ方法で稼ぐは、それぞれ哲学と資本主義と情報商材に該当し、これらの虚構はすべて同軸線上にある。プラトンは幼い頃、政治と哲学で二度挫折した。その挫折が、彼を生涯に渡って書くことに取り憑かせた。キメラゴンもまた同様なのであろう。

 

哲学の正体

 

では、のちに資本主義を生んだ、知のための知、の正体とは何だったのだろうか?それは単に、言葉である。哲学とは言葉に過ぎない。だからこそ、人の命とともに消えていく存在である言葉は、語り出る勇気によって市民社会と人を結びつける。存在しない屁理屈(ロゴス)によってではなく、精神(エトス)と情熱(パトス)から語る、その勇気こそが大事だったのである。

 

だからこそ、後世の歴史家たちが散々指摘したように、死を前にしたソクラテスは詩作に熱中するのである。

 

ポリスへの愛

 

同時代の歴史家クセノポンの報告によると、ソクラテス裁判から自死まで1ヶ月。つまり逃走する時間は十分にあった。しかし、ソクラテスは知己クリトンの説得に応じず、自ら死を選んだ。彼はポリスの中で生きるほかなく、ポリスの外では生きられなかったのである。この驚きが、青年プラトンに衝撃と想像力を与え、さまざまな著作を書かせた。

 

死の間際、妻クサンチッペが退出させられる直前、「クリトン」によるとソクラテスはアイソポス(イソップ)の物語を詩に直したり、アポロンへの讃歌を詩作したりして過ごしたという。つまり、ひとりのアテナイ市民へと戻っていくのである。「ソクラテス、文を作り、文を業とせよ」とは他でもないプラトンが書き記した精霊ダイモニオンの言葉である。

 

自ら毒杯を飲むソクラテス。足はだんだんと動かなくなる。なんて虚しい人生!彼はポリスに愛を誓い、それがゆえに死ぬ。アテナイ人の中でも彼ほどポリスを愛した人はいないのである。

 

イケハヤちゃんも彼ほどインターネットを愛した人はいないのであろう。我々は、彼をどうするべきであろうか?その答えはソクラテスのダイイングメッセージにある。ソクラテスが最期に残した言葉をご存知だろうか。

 

最期の言葉

 

「クリトン、アスクレピオスに鶏のお供えをしなければならない。必ず、忘れないでくれよ」

 

アスクレピオスとは医神であり、この言葉によって、彼は生涯に渡って振り回された、哲学、知への愛という病から癒え、一人の市民へと戻っていく。そして、彼の哲学なるものは、家庭なくしては成立せず、後世まで悪妻と呼ばれたクサンチッペこそがそれを支えていたのである。

 

クサンチッペにとっては、哲学も知への愛も最初からどうでもよく、ただひとりの愛すべき夫であった。だからこそ、平然とするソクラテスに対し、クサンチッペは取り乱し、泣き叫ぶのである。ソクラテスは死ぬ瞬間、クサンチッペにとっての愛すべきひとりの夫としての姿も取り戻してゆく。

 

このことは、若き日のニーチェが鋭く指摘している。キメラゴンは「学歴は不要」というが、教養はどうだろうか? ニーチェを読んでみよう。人を愛し、語り出る勇気を持ち、自分を挫折に追いやったポリスと言葉によって和解せよ。それこそがソクラテスの死が意味するもの。プラトンにできたのは、ひたすらその現場を書き記すことだったのである。

 

おまけ:私の主張

 

若者たちよ、観察者プラトンになろうとするな、詩人ホメロスが歌い上げた冒険者オデュッセウスになれ。運命は彼に痛烈な孤独と放浪を強いて、ボロボロになったオデュッセウスはそれでも人混みの中から妻ペネロペに迫る求婚者たちを弓で撃ち殺す。

 

伝説の物語(サーガ)は我々に、よそ者の汚らしい乞食の中にこそ、知恵と力と勇気において最大なるものが潜んでいるという教訓を与える。そのためには、オデュッセウスと同様に20年の旅が必要なのである。

 

(おしまい)

 

 

参考文献

『ソクラテスの弁明』(プラトン)

『饗宴』(プラトン)

『悲劇の誕生』(ニーチェ)

『プラトンと資本主義』(関広野)

その他『世界文学全集』ほか